Algebuckina橋からバイクを走らせて1時間足らず、このオフロードの名前にもなっているOodnadattaの町に到着する。

この町の目印は、なんといってもこのピンクの建物。

ロードハウスといって、軽食、お土産、ガソリンなどを扱っている。道の駅に近いだろうか。
中には郵便局まである。

ここは地図も配っていて、それがまたなんともかわいい。

こんな道程のど真ん中ではなく、スタート地点のMarreeで手に入れたかったところではあるが。

昔の駅舎。今は博物館になっている。

博物館の裏手。左の車両は、蒸気機関車に車輪がついている。
運ぶためだけのものなのか、レール外をこれで走ったんだろうか。
ともあれ、これも鉄道の主要な駅であった名残だ。
アボリジニの書いた詩
町の入り口にはこんな碑もある。
アボリジニのNgitji Ngitjiさんが書いた詩だ。

アボリジニの孤児院の子供たちと、子に会えない親を想って建てられたものだ。
純粋にアボリジニのことを知り、感じる手がかりにもなるので、拙いのは承知で和訳してみる。
我がこの大地
北風が吹くとき
思い出がよみがえる
私の始まりの人々と共にあった 過ぎ去った悩みなき日々が
暑い砂漠の太陽の下を裸で走れば
赤い砂の鼓動を感じた
赤石の暖かいベッドに私の体を抱けば
大地は私の目の届く限りまで続いた
さまざまな彩りの木々や茂みはすべて
この厳しく乾いた大地で育まれる
山々は我々の祖となる存在により形作られ
あらゆる神秘とともに見守っている
これが私の大地だ 厳しくしかし美しく
私の魂と精神を 完璧な平穏に保ってくれた
1973年に書かれた詩ということで、白人に迫害され、土地を奪われた先住民の視点から、移民以前の平和な時代を振り返ってのものだと思われる。
今は表向き迫害は無くなったが、補助金だけ与えて教育の機会はないなど、彼らの地位は今もまともなものとは言えない。
そんな現代においても、変わらず訴えるものがある詩だ。
アボリジニの自然との調和
アボリジニは40,000年の昔から、自然と調和しながら生活してきた。
例えば、野焼きがそのひとつとして挙げられる。
アボリジニは定期的な野焼きをすることで、動植物の生息環境を整えてきた。
しかし白人がアボリジニの土地を奪い、その慣習が止められてしまったことで、大きな森林火災が起きるようになってしまったと言われている。
こちらのサイトでは、アボリジニ出身のレンジャーが定期的な野焼きを行うことで、大災害を未然に防いでいる事例を紹介している。
毎年森林火災がニュースになっているのを覚えている人もいるだろう、今年2020年の2月にも、2,500万エーカー(10万 km²)が焼けた。
本州の面積が23万 km²だから、実にその半分が消失してしまった計算だ。
ある側面では、白人がアボリジニを迫害した、そのしっぺ返しを食らっているとも言える。
アボリジニ迫害の歴史
ごく一端だが、白人がアボリジニを迫害してきた歴史を紹介する。
こちらのサイトには、1794年から1930年までの、植民化に伴う白人対アボリジニの戦争、あるいは虐殺の歴史が綴られている。
英語が読めなくても、時間とともに戦闘が起こった場所がマッピングされていく動画のようなものがあるので、一見してみることをお勧めする。

(注意点として、丸のサイズが死者数を表している(6人~400人)ものの、その死者数には白人も含まれている)
鉄道の建設は1878年から始まり、Oodnadattaに届いたのは1891年であるから、まだ白人がアボリジニを殺していた時期のことだ。

上記の地図では鉄道の範囲では戦闘は起きていないが、この鉄道に関しても、同様のことが起きていたとしてもおかしくはない。
鉄道は湧き水に沿って敷かれ、そのルートはアボリジニも古くから部族間交易に使ってきたものだ。
だから、開拓者とアボリジニが接触していないはずがないのだ。
この地図を見ても、Oodonadatta Track上には、2つのアボリジニの市場(Trade Centre)がある。


上記のサイトにも歴史上公にされてこなかったとあるし、これらの掲示板に記されているはずもないが、その開拓者とアボリジニの接触は、必ずしも平和的なものだけではなかっただろう。
アボリジニに触れられる映画
そんな恐ろしい歴史の側面は置いておいて、こちらは平和的な白人とアボリジニの交流が見られる映画。
1977年に、白人女性がたった一人、ラクダでオーストラリアの荒野3,000キロを横断しようという冒険の記録だ。
主人公がアボリジニに助けられながら、荒野を進んでいく様子が描かれている。
オーストラリアの荒野アウトバックがどういうものなのか、ラクダがどうオーストラリアの生活に役立っていたのか、冒険とは、アボリジニの文化とは、そういうものに興味がある人は、ぜひ一度見てみることをお勧めする。
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ちなみにスタート地点は、オーストラリア中部でもっとも大きな街、アリススプリングスだ。
僕のようなバイクの旅だとかなりの部分が自己完結してしまっているから、人と関わる必要性はないといえばない。
今どきラクダの旅というのも時代錯誤かもしれないが、こういうのが本物の旅であり冒険なんだろうと思う。
その旅は、ラクダの扱いを覚えるために、ラクダ牧場に雇ってもらうところから始まっていたりする。
ひとことに、すごい。

なお、ラクダは当時はオーストラリアの主要な輸送手段だった。
Oodnadattaまでしか鉄道が通っていなかった当時、ここからアリススプリングスまでは、このように物資を輸送していたのだ。
まとめ
こんなふうに、なんとなくアドベンチャーを求めて走ったOodnadatta Trackだったが、そこには大きな歴史があった。
僕が失礼にも「地獄みたいだ」と言ってしまった赤い大地も、アボリジニに言わせると「暖かいベッド」だった。
こんな看板ひとつ、石碑ひとつとっても、見ようとしなければ見えない。
次に旅をするときも、こんな視点を忘れないようにしたいものだ。
そして、僕は活動家でもなんでもないし、これを読んでくれた人に何を求めるわけでもないけど、アボリジニの陥っている状況に気づく人が増えることに、何かしら意味があればと思う。
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