White Criffs Reserve を出発して、Flinders Ranges 国立公園に向かう。
道中さびれ具合に見合わない、立派なホテルのある街を抜ける。


とても素敵な色彩に佇まいだが、僕の旅にこんなファンシーなお宿はいらない。
そもそもキャンプ地を出発したばかりなので、素通りしてそのまま進む。
数時間進んだ頃だろうか、茶色い砂利道を走っていると、なにかの廃墟が見えてきた。

これはなんだろう。
平和なキャンプ地を出てわずか数時間で、早くも異境へ迷い込んでしまったのだろうか。
アンガスとの待ち合わせまで、まだ時間に余裕もあるので、バイクを停めて探索してみることにする。

キッチンに、、、

監督者の家。

柵が開いて、入ってよいと思われる廃墟へ進入してみる。
この色彩からか、屋根が完全に無くなっているからか、全く物悲しさもおそろしさも感じることは無く、ただただ好奇心だけがそそられる。

無骨で小さな窓だ。間取りも狭そう。
それにしても、青空に砂地の淡いオレンジがよく映える。
素敵なコントラストだと感じるが、新築当時の色彩でもないのだろう。

石の組み方が無骨で荒々しく、アウトバックに似合っていると感じる。
ちなみに、オーストラリアでは、自然をブッシュとかアウトバックと呼ぶ。
例えばアンガスが、「ちょっとブッシュにお茶をつくるための種を採りに行くんだ」などと言っていたように。
日本で山や森と言ったら、獣や神様の領域という含みがあるのと似ているだろうか。
ブッシュは、字義的には茂み、林、森。使われているイメージとしては、木々が茂る山、人の手の入らない自然。そこから、アウトバックを指して言う人もいる。
アウトバックは、中央部の開けた乾燥地帯。ブッシュよりも狭義で、砂漠、カラカラ、土っぽい、人のいない自然。
スバルの車にアウトバックというのがあるが(レガシーより大き目のSUV)、こんな荒野を走るようなイメージということだろう。
都合よく、この場所の説明の写真が残っていたので、要約してみよう。

ここは1850年代の、サウスオーストラリア州の開拓時代初期の羊牧場だったそうだ。
運営者が川の氾濫で溺れて亡くなったりしながらも、最盛期には5万頭の羊を飼い、面積は360平方マイルに及んだらしい。
360平方マイルとはおよそ30km四方で、30kmとは、杉並区の端っこから浦安市の端っこまでくらいの距離。
いやぁ、さすがオーストラリア。ひとつの牧場に杉並区から浦安市まですっぽり入ってしまうとは、やはりスケールが違う。
60年代に入ると、大規模な干ばつで、2万頭の羊を失う。
日本のような森林が無く土壌が水を保てないため、雨が降れば一気に流れ、雨が降らなければすぐ乾ききってしまうのだ。
だから、地図に川と描いてあっても、行ってみれば乾ききっている川床なんていうことが、何度も何度もなんどもあった。
その後、規模は尻切れに縮小していき、1888年にはこの場所は完全に放棄された。
多いときには70家族が住んでいたというから、今残っているよりも随分たくさんの建物が建っていたのだろう。
ひつじ自体、僕のオーストラリアの旅では見かけなかったから、開拓時代のさまざまなトライ&エラーのうち、上手くいかなかった一例ということか。
後日、自ら牛の牧場を切り開いたおじいさんと会って、直接話を聞く機会を得たりもするのだが。
そういうことも含めて、オーストラリアの過酷さというものを、北上するにつれ目の当たりにすることになる。
下のの衛生写真をみても、緑ゆたかな土地から、一面茶色しかない荒野に進入していくのが分かってもらえると思う。
今振り返ってみれば一目瞭然だが、このときはまだ意識していなかった。
アウトバックの気温の高さ、湿度の低さ、そして日差しの強烈さを。
その過酷さは、今はこの廃墟のイメージからわずかに窺い知れるのみ。
さて、どんな苦難が待ち受けているんだろうか。
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